本研究は「満州国」の政府組織に設けられた建築営繕組織について、その設立過程・変遷・所属技術者の概要を下記の文献調査及び聞き取り調査によって明らかした。 1.文献調査より明らかになったこと (1)「満州国」政府発行『満州国政府公報』掲載の官制により、「満州国」成立時期には国務院総務庁需用処営繕科と国都建設局建築科という2つの建築営繕組織が設立されたが、『満州日報』などによれば後者が実質的な政府の建築営繕組織の役割を果たした。 (2)防衛庁防衛研究所所蔵関東軍関係文書によれば、上記2つの組織の設立はいずれも実質的には関東軍司令部によって行なわれた。 (3)『(満州国)政府公報』記載の官制や辞令により、1993年3月には国都建設局建築科長相賀兼介などの技術者が国務院総務庁需用処営繕科に異動し、満州国政府の建築営繕組織は一本化され、その後これを母体として営繕需品局営繕処、建築局と変遷した。 (4)満州国政府の建築営繕組織に所属した技正は全て日本人であり、技佐(技師相当)も92人中84人が日本人であり、満州国政府の建築営繕組織は日本人の建築組織であった。 2.聞き取り調査より明らかになったこと (1)設立当初の国務院総務庁需用処営繕科は、即存建築物を「満州国」政府庁舎へ転用するための改修設計のみを行い、新築設計は国都建設局建築科が官制公布以前から行なった。 (2)国都建設局建築科長・営繕需品局営繕処設計科長を務めた相賀兼介は関東軍司令部との意見の相違から解任され、その後は当時の日本の建築界の実力者佐野利器の影響を受けた笠原敏郎・桑原英治などが建築営繕組織の中枢となり 日本国内との建築組織との関係が強くなった。 (3)満州国の地方(省・市)政府の建築営繕組織の人事は営繕需品局営繕処や建築局において決定され、これらから技術者が派遣された。 以上の内容を取り纏めて学術論文「満州国政府の建築組織の沿革について」を『日本建築学会計画系論文集』に投稿し(1994年2月10日原稿受理)、現在審査中である。
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