平成5年度は、懐疑主義者を表すギリシア語「スケプティコス」(文字通りには探求者)が含意する「探求」ということを手掛かりとして、主に、1.懐疑主義者は理性的な探求者であり続けようとするが、それは理性の有効性を疑問視する彼らの立場と矛盾しないか、2.また、探求にあたって幸福を目的とし、そのために事物の判定を行なおうとすることも、あらゆる事柄に関する判断保留と矛盾しないか、3.彼らの探求は、元々この世界の実際のあり方を発見しようとする探求であったが、それはギリシア哲学の伝統の中でいかなる位置付けを与えられるものであるか、といった問題に関して、一定の知見を得ることができた。それぞれの問題を解く鍵となるのは、懐疑主義者が行なう認識の規準と行為の規準の区別である。これは、判断保留を貫くとき、行為は不可能になるのではないか、というストア派の批判に答えるために彼らが導入した区別であるが、これによって彼らは認識面・理論面での独断を避けつつ、行為において決然と対処することができたのである。すなわち、1.理性の存在とか有効性について判断を保留しつつ、自分たちにとって最も優れていると思われる探求を継続して行くことができたのであるし、2.一般の人々の行為に見られるように幸福を求めて探求を行ない、しかも、その中で、いかなる確定した認識からも自由でいられたのである。また3の点に関しては、セクストス研究のための比較の対象としてアリストテレスの実体論を選び、アリストテレスが彼の実体探求において基盤とする考え-認識を欠いた行為は無意味なものであり、したがって、世界を意味あるものとして眺めようとする人間であるかぎり懐疑主義を貫くことはできないという、懐疑主義に対極的な立場-を剔出した。
|