平成5〜7年の研究を通して得られた成果を箇条書きにまとめると次のとおりである。 1.ピュロン派懐疑主義者は、理性的な探求者であり続けようとするが、それは、理性の有効性を疑問視する彼らの立場と矛盾しない。なぜなら彼らは、知識を求める哲学者として、理性的探求に携わるという自覚をもった探求者(スケプティコス)であり、一般に理性と呼ばれる何ものかを自分たちが用いている点において理性を否定するわけではないが、しかしまた、ドグマティストが理性を巡って不明瞭な物事にコミットして提示している議論、主張に対しては、反論を試みるものであるから。この点に、古代懐疑主義の中心的立場である認識の規準と行為の規準の区別がはっきりと現れている。 2.アタラクシア-(無動揺、平静さ)という特殊な形態の幸福を目的とする点においても、かれらはドグマをもっているわけではない。なぜなら、目的としてのアタラクシア-の設定は、哲学的反省開始以前の実生活という領域における一般的な前提であり、哲学的反省が後に加えられた場合も、単なる「現われ」として理解されるものであるから。 3.「現われ」と呼ばれるものの内には、判断の要素を含む現われもあるが、しかし、少なくともかれらの理解する意味では、判断の要素は含まれていない。 4.判断保留を幸福に至る道として最初に示した哲学者、ピュロンの懐疑の背後に、この世界に関するある種のドグマを読み取る解釈があるが、しかし、新たに見出した論点のもと、やはりこの解釈は認められない。 5.古代解釈主義の創始者とされる、ピュロンその人に関して現存する全資料を収めた資料集を作成した。
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