研究概要 |
近代オーストリア地方自治発達史に関する史・資料の収集を行うとともに,ヨーロッパ地域社会史の全体的なパースペクティヴの中で,具体的にオーストリアの都市と農村構造の世界史的位相を比較史的に確定する作業を行った。農村地域社会についてはすでにフリードリヒ・リストの『農地制度論』(1843年)において与えられている指標を基準にオーストリアの農村地域社会が中小農民層の化石化を特徴とするゲマインデ=小教区共同体(geschlossene Ort, Ort mit Pfarr, Ort ohne Pfarr, Marktflecken)自治を基底とし,16世紀の地方等族議会Landstandeを媒介として,今日のラント主権自治の連邦制国家へと上向する構造の核心をなすものであることを確認できた。他方都市については,ヨーロッパ近代の諸都市ロンドン,ベルリン,パリとの比較においてResidenzstadtウィーンの都市構造を考究した。その場合,ヨーロッパの歴史と精神そのものを体現するフランク帝国の首都ア-ヒェンや中世の教皇都市アヴィニョンをも射程に入れつつその歴史的性格を確定することが出来た(以上,『科学研究費報告書』参照)。 以上の作業を経て今後の研究課題並びに問題群実証のための史料をそれぞれ発見し,収集しつつある。 1.中世のtaiding(自治的裁判集会)の記録(史料NO Weistumer 4Bde等)並びに16世紀に成立する地方等族議会(テロルのLandtag墺型)議事録にみられる自治的伝統が,18世紀のマリア・テレジア/ヨ-ゼフ改革期並びに1848年革命後の新絶対主義期の国権拡張・集権化政策を越えてどのようにして現代の連邦共和国体制へとつながってきているのか。2.ゲマインデ=小教区共同体自治を基盤として,学校・病院・裁判・消防・警察・道路・鉄道等を契機としていかにして租税連合と自治的代表制を発達させてきたのか。3.(1)48年革命期のラントシュテンデ改革論(2)1861年憲法体制(国民代表制下の地方自治)成立史(3)1867年アウグスライヒ体制(4)1920年憲法体制(連邦共和制下の地方自治・国民代表全国議会原理のアウフヘ-ベン)成立史。
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