1.蜂起指導者コシチューシコ死没後形成されたコシチューシコ蜂起の伝統は、分割時代19世紀の三大蜂起(11月蜂起、クラクフ蜂起、1月蜂起)を通じ継承された。こうして、コシチューシコ蜂起100周年にニコライ2世が退位し、この民族的伝統の再生第一波高揚期と重なった。さらに1905年ロシア革命期にその第二波高揚期を迎え、その際、蜂起時ワルシャワの都市革命の民族的英雄キリンスキ信奉勢力の活躍を跡付けた。 2.「諸民族の春」を先導したクラクフ蜂起(1846)勃発はコシチューシコ生誕100周年に相当した。そうした視点に立脚し、「諸民族の春」を「19世紀版コシチューシコ蜂起」と規定し、コシチューシコ没後100周年(1917)に現実化する民族的伝統の第三波高揚期を革命期ペトログラードに焦点を絞り、ロシア10月革命を「20世紀ロシア版『諸民族の春』」と想定した。その上で2月革命期ペトログラードにおける民族・社会革命化ポーランド人諸勢力の動向を分析し、そこにコシチューシコ蜂起の伝統がコシチューシコ没後100周年を契機に本格的再生を示した情況を具体的に実証できた。 3.2月革命後ペトログラード刊ポーランド語定期刊行物の急増、それに解放政治犯・流刑囚、脱走兵、国外亡命者、避難民などのポーランド人諸勢力の集中的流入過程を10月革命期ペトログラードで先ず把握した。他方、新旧両大陸諸地域におけるコシチューシコ没後100周年追悼行事をも跡付け、10月革命勃発期ペトログラードもその一環を担った事実を裏付けた。こうして、同市におけるコシチューシコとその蜂起伝統に立脚した民族的伝統の第三波最高揚期とロシア10月革命勃発との相互関連性を追求した。その結果、ロシア10月革命を民族問題と国際関係的視点から、「20世紀ロシア版『諸民族の春』」とみなしてよい立場を提起することができた。
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