ロラン・バルトが「これはコピーすることのめまいそのものである」と記した『ブヴァールとペキュシェ』その演劇性と分析するために、今年度は「コピーすること」について考察した。 この未完の大作に付記された、「講演」と名をつけられた草稿の部分の「もう、人生に対して何らの興味もない。」に始まる文章には、「彼等二人の最後の楽しい夢、それはコピーすること」と書かれている。ブヴァールとペキュシェは、こうして再び「コピーすること」を始める。そしてそのための<事務机>の製作にかかる。 「彼らの思いつきを聞きつけたゴルジュがそれを作らせてくれと申し込む。…例の長持ちと想起すること」 とフロベールはシナリオに書き残している。ゴルジュが作業に取りかかるのは、新しい事務机の製作であって、作品中に描かれるような彫りを才色された長持ちの修理ではない。 第5章を中心軸とする、「コピーすること」をテーマとした二人の<〓〓が〓想>、<〓想から〓〓>への上下運動、対人関係の中での<テアトラリラ>に見た、理論から実践への静かな変遷。そうしたリズムの繰り返しの中で、ブヴァールとペキュシェは、またこの「新しい事務机」の上で、永遠に向かってコピーし続ける。 『ブヴァールとペキュシェ』の醸し出しているこうした「緩かな動き(リズム)」は作品の演劇性、つまり、簡潔な台詞まわしと舞台装置(背景〓〓)に〓う所が大きい。
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