RAS癌遺伝子による細胞癌化のシグナル伝達機構を明らかにするため、RASによる腫瘍形質の可逆的な抑制とそれに伴って変動する増殖シグナルの解析を試みた。正常のH-ras癌遺伝子は過剰発現させるとマウス線維芽細胞株NIH3T3を癌化することがわかっている。H-rasの変異体N116Yはこの正常H-rasによる腫瘍形質を抑制する活性を示す。そこでN116Yを重金属で発現誘導するためメタロチオネインプロモーターの下流に組み換え、正常H-rasによる腫瘍細胞18Aに導入した。単離した細胞の培地に亜鉛あるいはカドミウムを添加してN116Yの発現が誘導されるクローンを選択した。これらの細胞はN116Yを発現誘導すると10数時間後から形態の変化が始まり、24時間後には正常細胞に近い扁平な形態を示した。N116Yを発現誘導していない状態では対照細胞と同様にEGF添加や高血清濃度下で軟寒天培地中でのコロニー形成が認められたのに対し、N116Yの発現を誘導するとEGF添加や高血清濃度下にかかわらず軟寒天培地中でのコロニー形成はほぼ完全に抑制された。このときのRASを介した細胞内情報伝達についてMAPキナーゼのリン酸化を指標にして調べた。N116Yを発現誘導する前や対照細胞ではEGF刺激や血清刺激によってMAPキナーゼのリン酸化が促進された。N116Yを発現させるとEGF刺激によるMAPキナーゼのリン酸化は強く抑制されたが、血清刺激によるMAPキナーゼのリン酸化はほとんど抑制されなかった。これらのことから、N116YはRASを介する癌化シグナルの伝達を阻害すること、及びMAPキナーゼのリン酸化は必ずしも腫瘍形質の発現と相関しないことが示唆された。
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