昨年までの解析から、H-rasの変異体"N116Y"がdominant negativeな活性を示し、RASを介する増殖ジグナルの伝達を阻害することが分かっている。そこで、RASの活性制御機構のどの部分をN116Yが阻害するのか調べた。N116Y発現細胞を上皮増殖因子などの増殖因子で刺激して活性型RAS産物であるGTP結合型p21の比率を調べたところ、対照細胞では短時間の間にGTP結合型p21が増加したたのに対し、N116Y発現細胞ではいずれの増殖刺激によってもGTP結合型p21の有意な増加は認められなかった。このことから、N116YはGDP/GTP交換反応を阻害することによりRASの活性化を抑制することが示唆された。 次に、ヒト腫瘍細胞に対するN116Yの増殖抑制活性について検討した。N116Yを発現効率の高いベクターに組み換えてA431(類上皮癌)、PC3(前立腺癌)、T24(膀胱癌)、MCF7(乳癌)、NKPS(胃癌)、TMK1(胃癌)、HeLa(子宮頸癌)細胞に導入したところ、すべての細胞株で増殖が強く抑制された。また、N116Yを極めて低レベルに発現させたA431細胞のクローンを単離したところ、in vivoでの造腫瘍性は完全に抑制されていた。このクローンでは多核や空胞化などの細胞形態の異常が高率に認められ、対数増殖期の細胞からは断片化したDNAが検出された。ヒト白血病細胞株K562でN116Yを発現させると、DNAの断片化を伴う細胞死が誘導された。これらのことは、N116Yによる腫瘍細胞の増殖抑制にはアポトーシスの誘導が関係していることを示唆している。N116Yは広い範囲のヒト腫瘍細胞の増殖や腫瘍形質を抑制することから、遺伝子治療の材料として有望であると考えられた。
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