研究概要 |
1.わが国の水稲栽培におけるモチ稲栽培の地位(モチ稲作付率)は、第二次大戦後の高度経済成長期以降急速に衰退し、今日では全国平均で3%台になっているが、衰退以前には明治以降ほぼ一定の割合で推移し、大きな変動はなかった。この点を全国的に詳細に明らかにしうる戦前(S.16)段階の資料を発見し、その整理と分布図作成を進めた。その結果、当時のモチ稲作付率は、郡レベルでみると7〜10%台(郡全体の39%)がもっとも多く、ついで5〜7%台(同24%)、10〜15%台(同19%)、3〜5%台(同10%)の順であったことを確認した。また、当時はモチ稲栽培が全国の諸地域にかなり均等に分布していたことも明らかとなった。その中にあって、概して郡部に比べ市部においてモチ稲作付率が高い傾向が存在していたことを突き止めることができた。 2,フィールドワークによって、今日モチ稲栽培が進展している地域の一般的な条件と地理的な環境について考察を深めることができた。とくに九州の有明海沿岸から八代海沿岸にかけた稲作地帯においてモチ稲地帯の形成が進展していることが判明した。このことの理由として、水田地帯における冬作物(例えば、い草)の存在、肥沃な干拓地帯の土壌、有力なモチ品種の存在、共同乾燥施設の導入等の諸要因が関連していることについて確認した。なお、一般にモチ稲栽培の急速な衰退地域として特徴づれられる東京大都市圏にあって、利根川中流域では特殊的にモチ稲が発展している事例を収集した。 3.モチ稲栽培の地域分化を促す要因として、国土利用の都市化(農地および水田経営の縮小)と農家の兼業化、良質ウルチ稲栽培の展開の可能性と流通条件(農協の対応)に加えて、農業経営レベルにおける水稲の作季と収量、および試験研究機関における品種開発の動向も関係していることが明確となった。
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