本研究は、ドイツ語圏の文学の中で特異な位置を占める「未来小説Zukunftsroman」の展開の諸相を明らかにすることにあった、この分野は文学研究においては手つかずのテーマであり、資料の収集・整理に重点が置かれた。「未来小説」が大量に出廻った19世紀末から第三帝国末期に至る社会史的・技術史的・美術史的な背景も考慮に入れながら(文化史の再構築)、個々の作品に表われた主人公(技術者)の人物類型、ユートピア・イメージ、大衆社会との距離、視覚的映像的表現、さらにドイツ民族主義的言説を分析することで、幾つか新たな問題も浮かび上ってきた。 ひとつは戦後のドイツSFの不振についてである。20世紀前半、実におびただしい量の「未来小説」が書かれながら、戦後は英米圏からSF(サイエンス・フィクション)というジャンル概念が導入されたにもかかわらず、それ以前の隆盛ぶりに比べ衰退いちじるしい。本研究では、この問題を20〜30年代のドイツ民族主義的・人種イデオロギーとの関連で捉えてみた。その成果の一部は、文学雑誌『ユリイカ』(青土社)1993年12月号の特集<サイパーバンク以後>に発表した論文を通して一般に公表することができた。(また、「未来小説」に登場する民族主義的色合いのついたドイツ人英雄技術者像の変遷については今秋、学会誌の特集『科学技術と文学』の中に発表予定である。) もうひとつの成果は、テクノロジーの革新によって変化する技術社会の現実の中で「ドイツ的とは何か」という、ドイツ人の自己確認の欲求が、大衆レヴェルの段階でどのように変位し、歪められた形で表面化したのか、という問題へのアプローチである。このテーマはナチズムの問題とも関わり、先に述べた戦後(すなわちナチズム以後)のドイツSFの現状にも暗い影を落としている。しかしながら、「未来小説」の歴史的展開という観点からナチズム研究へ踏み込むという方法は、「未来小説」それ自体が十分顧慮されなかったため、これまで殆んど試みられてこなかった。本研究ではその足掛かりを見つけることができたので、ナチズムとの関連についての具体的検証は今後の課題としたい。
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