日本統治時代における歴史的環境の保全行政は、1919年に日本国内において制定された「史蹟名勝天然記念物保存法」が、1930年に台湾においても施行されたことにより始まる。台湾には、名勝地、天然記念物と称すべきものが相当にあり、特色ある史蹟が存在していた。また、台湾は日本にとって熱帯地方における自然・社会の調査研究の中心地であった。 同法が施行された理由を考察すると、(1)台湾は日本にとって熱帯地方における自然・社会の調査研究の中心であり、都市開発事業等が展開される中で史蹟名勝天然記念物の破壊が進行することが危惧されたこと、日本人の慰安・休養の基地的性格も有していたこと、(3)(1)とも関係するが日本国内における保全行政の展開が植民地に伝播したこと、等が挙げられる。 日本の保全制度が、台湾に影響を与えた時期としては、戦前と戦後の2つの時期が考えられる。戦前の国民党政府による古物保存法制定の背景は、当時の世界的な民族意識の高揚であり、これは日本における古社寺保存法の制定が日清戦争後の民族意識の高揚であることと同様である。当時の東アジアの状況と比較した場合、日本の古社寺保存法は極めて早い時期に制定されており、既に古社寺保存法(1919年以降は国宝保存法)と史蹟名勝天然記念物保存法を制定して自国の歴史的環境保全に取り組んでいた日本の状況は、当時、中国大陸に拠点を持っていた国民党政府による古物保存法制定に対して何らかの影響を与えたことが予想される。日本統治時代における影響としては、台湾において初めて近代法による保全行政を展開したことが挙げられるが、終戦と共に日本の保全行政は終了し、戦後長期間に渡って保全行政受難の時期にあった為に、戦後の台湾に対して大きな影響を与えることはなかったと考えられる。戦後に影響を与えたのは、現行の日本の文化財保護法であるがこのことは本研究の対象外であるため、継続研究として別稿において詳述したい。
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