研究概要 |
本研究は頬を寄せ合うマリアと幼子キリストを描いたエレウサ型聖母子像が、カッパドキアにおいてどのように受容されたかを検討するものである。 8月にN.ティエリーの論文"La Vierge de tendress a l'epoque macedonienne," Zograf 10 (1979),59-70に基き、カッパドキア、ギョレメ地区とソアンル地区の6聖堂8例においてエレウサ型聖母子像を調査した。周辺調査を通して、報告者はティエリーの挙げていないエレウサ型1例を新たに確認したが、現在までに読了した文献において、これをエレウサ型と同定している研究は皆無である。 この調査を通して、カッパドキアの諸聖堂において、エレウサ型は(1)プロテシス(=北小祭室)と(2)玄関口周辺に配置されることが判明した。(1)'プロテシスには、大聖入という典礼儀式の象徴性を、エレウサ型に固有の両義性-受肉と受難-により視覚的に補完するために配置された。(2)'玄関口には、同類型の両義性を利用しつつ、聖堂そのものが表象・視覚化する救済史をシンボリックな形で観者に示すために配置された。いずれの配置も同時代人がエレウサ型の意味するところを十全に理解していたことを反映していると結論できる。 さらに、エレウサ型の分布するギョレメ地区とソアンル地区は首都コンスタンティノポリスと密接な関わりを持っており、対象となった作例はいずれも首都の影響が色濃い様式で描かれている。それゆえ、エレウサ型は首都で流行する最新の図像としてカッパドキアにもたらされた可能性もある。 2月現在、以上の成果を発表すべく、第59回美術史学会全国大会(於名古屋大学、2006年5月26日〜28日)の研究発表に応募している。同時に研究成果を論文にまとめ、5月末日の締め切りに合わせ、美術史学会の機関誌『美術史』に投稿する予定である。
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