本研究の目的は、歓待と贈与の思想を鍛え、現代社会の諸問題を読み解く鍵概念として発展させることである。当初、宗教をとりあげる予定であったが、その前提として死とことばの関係を提示する必要を感じ、本年度は、それについての研究をおこなった。具体的には、町田康『告白』のなかから、レヴィナス、デリダの思想のいくつもの破片を拾い分析することを通じ、死とことばの親近性を指摘し、贈与と死の間にことばを介した繋がりを見て取った。贈与は、それが贈与であると、贈与者/被贈与者双方にとって、感受されぬ限りにおいて、完璧な贈与たりうる。それは、贈与者/被贈与者の関係、その主体性を攪乱する。これが顕現した一例が、ポトラッチである。ことばは、発せられるごと、発話者の主体性を揺るがし、それは発話者「の」ことばではなくなる。ことばは、発話者「わたし」がその存在を賭けるものでありながら、それはつねに発話者にとって疎遠で、「わたし」の脱-主体化をひきおこす。「わたし」にとって、徹底的に他者なのである。さらに、死とは、「わたし」が生を受けたときから、つねにその身のうちに抱えているものである。「わたし」の死は、最も根源的な「わたし」のもの、であるといえる。ところが、「わたし」の死は、「わたし」を喰い破る。その典型的な例が、細胞の増殖によって「わたし」に死をもたらす癌である。つまり、死とは、代替不可能な「わたし」固有のものでありながら、根源的な「他性」でもあるのである。ここに、三者の近接性をみることができた。
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