ペルー共和国カハマルカ県コントゥマサ郡ヨナン=テンブラデーラ村にて、先史アンデス文明形成期前期〜末期(紀元前1800〜50年)の遺跡(後述の6地点)の発掘調査を実施し、各遺跡における居住の開始から放棄までの過程を解明した。また平行してこれらの遺跡の周辺地域であるヘケテペケ川中流域を踏査し、遺跡の分布に関する知見を新たにした。それらの調査結果から、形成期における当地の社会動態が以下のように明らかになった。 形成期前期にヘケテペケ川中流域一帯に神殿建築を中核として居住が開始するが、とくに北岸のアマカス平原にはラス・ワカス遺跡、13.8遺跡、チュンガル遺跡のように比較的大規模な神殿が複数併存した。このことは、アマカス平原の外にはカンタリーヤ遺跡のように、大規模な公共建築から隔たった小集落の事例があるのと対照的である。形成期中期にかけてアマカス平原の神殿の数は減少するが、同時にラス・ワカス神殿は急速に大型化し、一帯の社会的中心となったと考えられる。しかし形成期後期にはラス・ワカスを含めアマカス平原の神殿建築群が全て放棄され、代わって約5km上流のワカ・デ・ラス・レチューサス神殿が規模を拡大し、新たな中心となった。ここまでの変化は、多数の集団の併存する状況から、次第に地域社会が統合されていく過程として捉えられる。しかしつづく形成期後期の後半から形成期末期にかけては大規模な神殿建築の築造は見られず、セロ・ヨナン遺跡のような小規模な集落が散在する状況となり、社会の統合はいったん停滞したことが伺われるのである。 来年度は、発掘により得られた遺物・遺構の知見の整理分析を進め、上記のように解明された社会変化プロセスとの動態的な相互関係の解明を図る。
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