本研究は中期から後期にかけてのビザンツ帝国の政治・文化的諸現象の解明を目的としている。本年度においては、1261年のコンスタンティノープル奪還からおよそ半世紀間、すなわち皇帝ミカエル8世パライオロゴス(在位1259-82年)およびアンドロニコス2世パライオロゴス(在位1282-1328年)治世の、教会と政治に関連した諸問題を集中的に検討した。中心的なテーマは以下の二つ、1274年の第2リヨン公会議において成立したビザンツ教会(ギリシャ正教会)とローマ・カトリック教会との合同(リヨン教会合同)と、13世紀後半から14世紀初頭にかけて2度、コンスタンティノープル総主教を務めた修道士アタナシオスである。前者のテーマについては、ビザンツ側における教会合同の受容の問題を取り上げ、聖職者や修道士らによる抵抗運動および皇帝権力による反対派処分の実態を明らかにした。後者については、総主教就任以前のアタナシオスの修道生活とアトス山などの正教聖山との関わり、アタナシオスの読書や教養レベル、写本作成の問題などを伝記・古文書学的な視角から考察した。このほか、初期のビザンツ帝国におけるアルメニア人の活動についても考察を試みた。 *学会・研究会発表 「13世紀後半のビザンツにおける宗教迫害と抵抗--リヨン教会合同への反応に関する考察」日本ビザンツ学会第3回大会、東海大学、平成17年4月3日 「ビザンツ教会改革の政治的コンテクスト--総主教アタナシオスと主教団の対立」関西中世史研究会、平成17年7月30日 *執筆中の論文(査読中のものも含む) 「総主教アタナシオスの遍歴時代--13世紀ビザンツにおける修道士と聖山」 「聖山と教会をつなぐ道--総主教アタナシオスのラウラ・コネクション」 「総主教アタナシオスの直筆写本は現存するか?」 「The Armenian Element in Early Byzantium : A Prosopographical Perspective」
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