本年度は二点の論文を公表した。第一に「東条内閣総辞職の経緯についての再検討-昭和天皇と重臣-」(『日本歴史』六八五号、二〇〇五年六月)である。本論文は、従来の反東条運動の位置づけについて再検討をせまったものであった。すなわち、戦時内閣(東条英機内閣)の瓦解という歴史的出来事を、和平運動の成功という視点ではなく、明治憲法体制との関連性で理解した。総力戦体制に直面した東条内閣は、それを克服しようとし、むしろ瓦解の原因を自ら招いたのであった。このような解釈は、従来注目されることの少なかった昭和天皇の政治的役割に注目した結果である。 次に、「昭和二十年八月十日の御前会議-原爆投下とソ連参戦の政治的影響の分析-」(『日本政治研究』第三巻第一号、二〇〇六年一月)である。本論文は、日本が降伏した原因についての分析である。原爆投下とソ連参戦の政治的影響については、その日程がきわめて近いため、厳密には区別しにくい。そこで、その影響を分析するに際し、時期・方法・条件の三つの視点を導入し、そのインパクトがきわめて異質であったことを実証した。すなわち、原爆投下は降伏の時期の問題に影響を与えたが、ソ連参戦は降伏の時期と方法の問題の双方に多大な影響を与えたのである。特に、原爆投下後も、日本がソ連を仲介とした和平交渉を試みていたことを、新資料の提示によって実証したことの意義は大きい。 現在、米国側の資料収集につとめており、今後は日米双方の視点から、新たな論点を提示していく予定である。
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