本年度は一点の論文を公表した。「対重慶和平工作と小磯内閣」(『東京大学日本史学研究室紀要』一〇号、二〇〇七年三月)である。従来、小磯国昭内閣の崩壊過程は繆斌工作との関連で分析されることが多かった。だが、本稿では、繆斌工作だけではなく、陸海軍統合問題との関連性を指摘した。また、繆斌工作が、「大東亜共栄圏」という戦争の大義名分とも関連し、昭和天皇がこの工作に強い不満を抱いていたことも近年公開された一次資料から実証した。 上記以外に二つの点において、新たな知見が得られた。第一に、鈴木貫太郎内閣の対ソ外交方針の分析である。対ソ外交のタイミングの問題をめぐって和平派の内部対立が存在したこと、主戦派も対米戦と関連において、対ソ外交に期待をかけていたことなどが明らかとなった。第二に、大本営の原爆調査団の調査報告の研究である。初期の調査段階においては、放射能よりも熱線の対策に関心が集中し、原爆の被害が少なく見積もられたこと、米国の原爆保有量が多く見積もられていたことなどを明らかにした。また、流言飛語や新聞報道の分析を通じて、原爆投下が国民の動向に影響を与えていたことを指摘した。 海外の資料調査において、成果のあった一年であった。GHQ歴史課のインタビュー記録の英文版を発見したこと、米国内に存在する旧陸海軍関係資料の全貌を把握したことなどである。今後も、内外における資料調査を継続して行う必要があると考えられる。
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