聴覚系は受動的なシステムではなく、系内部の有毛細胞が能動的な自励振動をしていることにより、音響刺激に対する高い周波数鋭敏性と大幅なダイナミクスレンジの圧縮を実現しているということが指摘されている。またそこで観察される自励振動の性質はホップ分岐を示す振動子の性質を満たしており、パラメータ変化によってちょうど振動をはじめる分岐点直上に系をチューンとして外力とロッキングすることによって高い応答特性を可能にしていると考えられている。本研究ではこのような聴覚系の性質を一般的に理解するための数理的な枠組みを構築することを目指し、以下の研究を行った。 1.細胞生物学実験によってすでに知られていたウシガエルの有毛細胞の力学的応答特性に注目して自励振動子のモデル化を行い、3変数の微分方程式モデルを構成した。モデル化は分子的詳細を参照する事なしに行ったが、力学的特性を最低限満たすように構成した微分方程式モデルは、聴覚系の性質として期待されるように、入力に対して分岐点にチューンする性質を自然に持つことがわかった。 2.構成した振動子モデルの分岐点へのチューニングが不十分な場合には振動は緩和振動となり高調波成分とロッキングすることを示した。このことは聴覚心理学実験で知られている周波数成分としては存在しない低音がミッシングファンダメンタルとして知覚される現象とコンシステントであり、チューニングが不十分になるような非定常な入力などに対しては、聴覚系は周波数成分を単純にフーリエ分解するのではなく、末端のデバイスレベルですでに周波数成分を補う性質を持っていることが強く示唆された。
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