イトヨは古くから行動学実験のモデル生物として注目され、現在でも進化学、遺伝学などの分野で膨大な研究がなされている。このイトヨを含むトゲウオ亜目魚類全体に着目すると、様々な繁殖様式がみられる。なかでも、営巣する種では繁殖期のオスの腎臓からスピギンと名づけられた糊状物質の分泌が確認されており、この物質は巣の形状、材料によって性質が異なる。本研究ではトゲウオ亜目を対象として、営巣という行動形質に直接関わるこの糊状物質を分子生物学的な手法を用いて比較し、得られた知見を過去の行動学を中心とした先行研究とあわせて考察することで、保育行動の進化を究明することを目的とした。 本研究において、イトヨにおけるこの糊状物質をコードする遺伝子スピギンが多くのコピーを含むことを明らかにし、ゲノムデータベースから他の魚類において1つずつホモログ配列を同定した。さらに多くのゲノムデータを検索し、シンテニーの情報から、この遺伝子が哺乳類においては粘液状物質の主成分であるムチン遺伝子ファミリーの一つ、Muc19のオーソログであることを明らかにし、スピギン遺伝子の起源と進化過程を解明した。分子進化学的解析を行い、遺伝子がアミノ酸置換を伴う正の自然選択を受けていることも明らかにした。 並行して、トゲウオ類にくわえて多くのスズキ類のミトコンドリアゲノム全塩基配列データを用い、これまで大量の分子データの解析に用いられてきたベイズ法に加え、近年開発された新たなモデルに基づく最尤法による解析を行った。その結果トゲウオ類の系統関係についてこれまで提唱されてきた系統分類関係とは異なる新たな知見を得た。 本研究においては、営巣を行うイトヨ・トミヨが用いる糊状物質をコードする遺伝子の系統特異的な重複やその適応的進化を明らかにし、営巣行動の進化と遺伝子の系統特異的重複との関連を示唆する結果が得られた。
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