本研究は、知識と正当化をめぐる探求の方法として概念分析を中心にすえる従来の分析的認識論の不備を認識することから出発している。とりわけ懐疑論のような旧来型の問題構成は哲学を観想的探求と見る観点に由来してくる様子が見て取れるようになった。こうした知見をもとに、旧来の枠組みと対照させながら、その代替となる新しい認識論の枠組み(広くいって自然化された認識論)を模索することが可能になった。具体的には以下の二つである。 第一に、自然化された認識論の一形態としての認識的プラグマティズムがもつ含意について、諸批判を検討しつつその詳細を明らかにし、認識のもつ深い歴史性や共同体への依存を強調するとともに、状況内行為主義への転換を提唱するに至った。逆に、これを通じて、従来の認識論的枠組みの、脱実践的・歴史超越的・個人主義的前提を暴き出すことにも一定の成果を上げている。そして、ここで得られた知見は、雑誌論文として発表を行った。 第二に、新しい認識論の枠組みをもたらす有望な学説として、知識の自然種論ないし実在論の検討を開始した。ここでは、文献購読によって以下のような知見を得た。従来の認識論が知識の概念的把握にのみ努めてきたため、知識が科学的・経験的探求の対象でありうるという可能性をかえりみてこなかったという来歴に反省が促される一方で、知識の自然種論がこうした旧認識論が抱える問題を解決する糸口を与える。とりわけこの論点には、科学的実在論における恒常的性質群というアイデアが重要な役割を担う。そして、知識の自然種論は、認識論における方法論を変革し、認識論が知識科学の科学哲学へと変貌するための展望を開くものである。さらに方法論的側面としては、情動や道徳的直感などとともに心の中で知識が果たす役割に関する研究が必要であることも明らかになった。 これらに加えて、思考実験や反省的均衡などの哲学的方法それ自体に関する方法論的探究が必要であることが分かってもきている。
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