研究概要 |
野外調査としてはタキシラ寺院跡、特にダルマラージカ-寺跡を集中調査した。 主塔と小塔とで構成されるこの寺跡のうち、主塔の増廣基壇は、發掘者マーシャルによって後期石積semi-ashlarとされていたが、一時期前の、石積diaperであることが判明した。この基壇にとりつけられた東西南北四面の階段は、主塔の東面に貼り付けられた祀堂の石積の形式からみて最末期における作り替えであることも判明。一方、主塔を圍む小塔郡祀群造立の編年に關してマーシャルは、rubble,diaper,semi-ashlarの順に3時期の石積の變化に従うとした。この設定はひろくタキシラにおいては認めてよい。だが各様式にはおおくの型式があり、rubbleとdiaper,diaperとsemi-ashlarなど各様式の間の漸移的な型式をどちらの様式とみるかによって、その石積をつかって建設された佛塔や寺院建築の年代が左右されることが判明した。そこで小塔群祀堂の石積を逐一スティル寫眞に撮影し、記述し、これを圖面を對照しつつ、詳細に檢討するための基礎資料とした。このような實地の觀察のなかから既に、廣大なダルマラージカ-寺跡の建設の順序がすこしづつあきらかになっている。ひとつはダルマラージカ-北部の僧坊と佛塔についてマーシャルの編年は通用せず、かれの年代觀(5世紀末)よりはるかに後(8-10世紀)まで建設が續行した點を證明できる。 タキシラの17の佛寺跡、シルカップの佛塔のうち、ほとんどすべての佛塔に關し、その特徴である基部繰り刑斷面實測圖集成をおこなった。基部繰り形は、石積形式と相互に密接な關係があり、繰り形の變化を逐うことにより、從来石積の變化ばかりから逐っていた佛寺建築の編年におおきな役割を期待できる。實地檢證による再檢討の限界は、遺構が發掘から半世紀以上をへていることと、遺跡現状と發掘報告の記述と相異である。このギャップを埋めるため、The British Library所藏の發掘當時撮影の寫眞資料を調査し、またThe British Museumやインドの博物館藏のガンダーラ彫刻佛塔資料を蒐集、ガンダーラ初期佛塔形式の比較資料として西インドの石窟寺院内の佛塔資料を實地に蒐集した。
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