研究課題
1994年9月庄武が先発し、エチオピア入りした。庄武は南部アルシ州のゲラダヒヒ及びゲラダヒヒとマントヒヒの雑種の捕獲調査を予定していたが、雨期が長引き、前半の帰国予定日までにはアルシでの目的は達成できないと判断しアジスアベバ北東130kmのゴシュメダ(海抜3550-3700m)でゲラダヒヒの捕獲調査を行った。19頭は採血し資料を日本に持ち帰った。蛋白変異を検索したところ遺伝的変異はアジスの北方850kmのセミエン山岳地帯に較べると著しく低く、アジスアベバ北方100kmのフィチェ(1984年に発表)と同じだった。この結果は報告者が立てているゲラダの繁殖史に関する仮説「ゲラダヒヒはエチオピア北部高原の最北部に生き残り、その後南方に向かって生息域を拡大してきた」を支持するものである。森と岩本はアルシ州、ガドゴロでゲラダヒヒの社会生態学的調査を行った。今回のトピックスはゲラダヒヒで子殺しの証拠を得たことと、ゲラダヒヒのヒョウに対する対捕食者戦略を観察したことで、いずれもゲラダヒヒでは初めての観察である。採食行動については、ゲラダヒヒは草を食べることに特殊化しているというこれまでの知見とは異なり、かなりな頻度で果実食をしていることが明らかにされた。これらの発見は、アルシ州のゲラダヒヒは、これまで調査されたゲラダヒヒの分布域とは隔離され、生息環境も違うことによると考えられる。つまり、これまでのものは平原を採食遊動に利用していたが、今回の調査対象群は崖斜面を利用しており、そのため変化が生じているようだ。庄武と松林は共に、2月11日再度エチオピア入りし、セミエン山岳国立公園に入りゲラダヒヒの高地適応能力を生理学的に解明するため公園内のSaha周辺(海抜3800m)で捕獲調査を行った。25頭分の血液資料を持ち帰り、前述のゴシュメダの資料と共に平井も参加して分析を開始した。
すべて その他
すべて 文献書誌 (5件)