研究概要 |
地球本位型社会の実現には生態系の中の人類という視点が不可欠である。人類は無数の小個体群から単一の大個体群へと変化してきた。動物の個体群の解析によれば、多数の個体群にわかれて存在するよりも単一の個体群であるほうが絶滅の可能性が高い。個体群が単一で存在する場合と相互に多少とも隔離された複数の場合とで密度の変動や食物資源の利用がどのように異なるかに関する実験は室内の実験個体群については多いが、解放空間である野外では全く例がない。同一量の資源が存在するときに多数の小個体群にわかれている場合と少数の大個体群として存在している場合でその資源の利用と破壊、個体群の変動がどのように異なるかを野外の実験個体群について解析を行い、野外でも実験室と同様な事実が観察されることをトドマツオオアブラムシについて明らかにした。 人類の個体群の単一化に伴う環境の条件付けはどのようなものとなるかを第三世界の国々の森林とその利用について検討した。国民一人当たりのエネルギー消費量は先進国の1/10にすぎず、エネルギー源として薪炭その他の生物資材を利用する比率が高く、森林の利用は強度なものであり、局所的には森林の破壊を引き起こすものとなっている。環境倫理の発展の経緯をA.Schweizer,A.Leopold,R.Carsonおよび熊沢蕃山について考察した。欧米の3人は立場を異にしているが、共通していることは倫理の基盤を単なる知識に求めたのではなく、「経験」に求めたことである。この点において、最近のわが国の環境倫理の主張とは明確に異なる傾向である。熊沢蕃山の主張には環境倫理といってよいものがあった。かれはそのような倫理の実践を教育と政治を通じて行なおうとしたが、実現できなかった。経験に基づく実効性のある環境倫理とはどのようなものであるかを検討する必要がある。
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