研究課題
総合研究(A)
オホーツク文化の成立の問題に関しては、従来大陸のアムール河流域の靺鞨系文化の人間集団のサハリン・北海道への南下説が有力視されてきた。これに対して代表者等は、北海道従来の縄文文化の伝統を受けた続縄文文化と北方文化の融合説を提唱した。このため、この説を根拠づけるものとしてオホーツク文化成立期の鈴谷式前後の生活状態を示す発掘資料を得ることが急がれた。この研究はこの主旨に沿ったものである。昨年度は、本調査へ向けての予備調査として、道北地方日本海沿岸〜利尻島において上記の目的を果すためにふさわしい遺跡の選定のためのジェネラルサ-ヴィを行なった。その結果、利尻町種屯内遺跡を調査地に選定した。本年度は同遺跡の発掘調査を夏季に3週間にわたって実施した。2m×10mの発掘トレンチを基軸にし、これに若干の拡張区を設けて調査を行なった結果、続縄文〜アイヌ文化期にわたる文化層、遺構が検出された。それらの内、とくに、続縄文期の住居址1軒、オホーツク文化前期の住居址2軒、両時期にわたる集石土坑3基を検出し得たことは大きな収穫であった。又、出土遺物においても、鈴谷式前後の土器群多数、石鍬等をはじめとする石器群、続縄文期のヤス3点を含む骨角器などオホーツク文化の成立過程を究明する上で重要な資料を多数得ることができた。これらの資料は、オホーツク文化の基盤となる沿岸性の経済(海獣狩猟、魚狩、採集)の確立への過程を示すもので、礼文島浜中2遺跡などと併せ、続縄文とサハリン系文化融合の過程を知る重要な手がかりを得ることとなった。なお、本遺跡に関しては、有望な資料の追加が期待できるので、平成8年にも継続して調査を行ない、近い将来、今回の資料等と併せて総括的研究結果を発表する計画である。
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