平成7年度は、レヴィナス哲学の研究に集中した。とくに、レヴィナス哲学においては、死と時間がその中核をなしているので、この両概念の解明に力を注いだ。レヴィナスの死は、他者としての超越者が人間に関わる様式であり、人間の究極の可能性として捉えられたハイデガ-の死とは、際立った対照をなしている。ここには、ハイデガ-があくまでも人間の能動性に定位する哲学であるのに対し、レヴィナスが人間の受動性に定位していることが、現れている。時間の概念においても、この対照は平行的に現れくるのだが、ここで問題として残されたことは、、死も時間もともに他者と自己との関係として思索するレヴィナスの理論の構造が整合的なのかどうか、という点である。このことは、しかし、レヴィナスの思想の歴史的背景から究明されなければならないだろう。以上の研究の結果、「レヴィナスにおける死と時間」(『思想』第861号、1996年3月)が成果として得られた。この論文において、筆者は、ハイデガ-とレヴィナスとを対比しつつ、両者の死と時間の概念を究明したが、ハイデガ-に比べレヴィナスの時間概念にはなお不明の点が多く、これの追求が課題として残された。しかし、この両義性は単に理論の整合不整合の問題を超えていて、恐らくはユダヤ教の信仰に由来するなにごとかを指し示している、と思われる。それを旧約聖書の歴史的背景から解明することが、ハイデガ-とエックハルトとの関係の解明とともに、研究の最終年である次年度の課題である。
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