研究課題
日本の唯識は論義によって練り上げられ、論義によって大成されたとの観点より、薬師寺に所蔵されている二千を越える短釈(一論義一論草の論義書)の研究を続けてきた。その結果、この十年間で五論義六十余に及ぶ短釈の翻刻・研究を行い、従来の定説を幾つも翻すという成果を得るに至った。これにより日本唯識の全体像がかなり解明されたものと考えている。今年度はこのような研究方針にのっとり「深密三時」の翻刻・研究を行ってきた。「深密三時」とは、要するに法相唯識の教判に関わる論義であるといってよい。すなわち、仏陀一代の説法を初時有教・第二時空教・第三時中道教に分類し、唯識の教えを最も勝れた第三時の教えとして位置づけて行くところに三時教判の意義があるのであるが、ところが、この区分けに『華厳経』と『遺教経』の二経が該当しないという問題点が生じた。たしかに『華厳経』は初時に説かれた教えでありながら内容的には第三時の教えであり、また『遺教経』も第三時に説かれた教えでありながら内容的には初時の教えである。ここに決定的な矛盾点があったのである。そこでこの教判を立てた慈恩大師も三時を時間的なものとみる「年月」の立場のみでは不十分と考えてか、教えを類摂して三時とする「義類」の立場も合わせて示すに至った。この結果、その後の展開において唯義類説・唯年月説・兼二義説の三説がそれぞれに説かれるようになり、更にこのうちの兼二義説が三つに分かれ、(1)唯義類説(2)唯年月説(3)本年月兼義類説(4)本義類兼年月説(5)年月義類二門等兼説の計五説が競い立つ事態となったのである。今回、このような五説の変遷がいかに行われたかが明らかとなった点、また『同学鈔』の「唯義類説」が決して正義説でなかったという点、及び鎌倉以降もなお異義併存の状況にあったことが明確になった点等々、日本唯識の特色を解明する幾つもの成果をあげえたといってよいであろう。