本研究は、東西日本の民俗の地域差について実証的に検討して、そこから地域差の持つ意味を明らかにしようとする研究の一部をなすものである。今までも日本の村落社会における民俗の東西の質的な相違を把握し、その意義を論じてきたが、専ら太平洋岸中心で考察してきたことを反省し、本研究では、視点を日本海側の村落社会に伝承されてきた民俗事象に置いて、日本列島の中央部における民俗の東西の相違を把握しようとした。従来日本海側については、どこでも京阪を中心とした近畿地方との関係を強調する傾向があり、その点では西的な姿がイメージされていた。そのことを実証的に再検討する研究でもあった。 3年間の研究によって日本海側の山形県から福井県にいたる地域で6つの村落の調査を実施し、それぞれの民俗的特質を把握することに努めた。そして、太平洋岸で見られるような東西の地域差は、日本海側においても明確にあり、その境界は富山県と石川県の境にあることを予想できた。そこで境界地域としての富山県礪波市の村落において集中調査を実施し、その村落社会の民俗的特質を把握することにした。その結果、従来近畿地方的な印象の強かった富山県も明らかに家を単位とした「番」秩序が支配的であり、いわゆる散村の景観も自然条件のみではなく、家を強調する社会の表現であったことを予測することができた。 近畿地方と同じような「衆」秩序は福井県までは顕著であるが、石川県では後退し、富山県に入ると明確に「番」秩序となり、東の特質を示す。加賀・能登はその点では中間地帯ということができるが、その傾向としては西の地域に属している。今後、太平洋岸と同じように、東西の接点におけるせめぎ合いによる境界の変化があったかどうか、より詳細な調査研究を行う必要がある。今回の研究はその視点と注目地域を明確にしてくれた。
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