ゴルバチョフが開始したペレストロイカ、エリツィンが継承し拡大した旧ソ連/ロシアの改革は、種々の困難に遭遇し、混乱を発生させ、ジグザグの道を辿りながらも、大きくは逆戻りすることなく、今日まで続行されてきている。「社会主義」を民主主義、市場経済へ転換するという、歴史上未曾有の実験であるが故に、特定の青写真が提案される筈はない。とはいえ、歴史上、そして地球の先例から教訓を学び、なるべく無駄なく体制転換を遂げようとして、諸外国に範を求めたいという希求や動きは存在しない。 そのようなモデルとしては、IMFが暗黙裡に勧める欧米先進諸国型よりも、日本、中国、四つの龍、ASEANなどのアジア型の方がより適切であるとの見解がロシア国内の指導者達の間で大きくなってきた。 明治以後、第二次世界大戦後の日本とは状況を異にする一方、日本は、相変らずロシアの改革にとり、有効なモデルと見なされていることが判った。その理由は、以下の通り。(1)親近性。(i)日本は、低い段階から発展を遂げた点において、ロシア人に親近感を抱かせる。(ii)日本は、近代化、工業化、西欧化を急速なスピードでなし遂げた。(iii)日本の政治、経済上の特徴や経験は、ロシアに手近の参考例を提供する。(2)卓越性。日本モデルは、(i)科学・技術の利用が巧みである。(ii)日本人は、危機発生後の対応や克服の仕方に優れている。(iii)戦後日本は政治・外交・安全保障の分野において、時代を先取りしている。 では、日本モデル、とくに戦後日本の成功例の有効性は、どうか。戦後日本は、(i)敗北感の徹底、(ii)マッカーサーの政治的権威の絶対性、(iii)当時の恵まれた対外環境の三点において、今日のロシアと異なる。しかし、他方、戦後日本と今日のロシアは、(i)信仰体系の崩壊、(ii)経済的混乱、(iii)統制経済から自由経済への移行などの、共通点をもつ。かくして、アバルキン・ロシア副首相の次の言葉が、適当な結論となろう。「ロシアの再生過程においては、他の国々によって蓄積された全てのものに敬意を払いつつも、自分自身のやり方を見つけてその道を進まなければならない。」
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