1.EC統合プロセススは、予定通りには進展しない事情が生じつつあるが、ヨ-ロツパ統合自体は不可逆的な展開を示している。ヨーロッパ議会・理事会等の「政府」諸機関も、形を整えつつあり、構成各国のEC予算への負担も漸増しつつある。2.ドイツ統一の経済的実体は、統一マルクの早期導入による旧東独地域経済の壊滅的打撃からの立ち直りが予想以上に長引き、旧西独地域の産業と家計に予想以上の負担を追わせているが、基本的には時間の経過とともに問題は解決されつつある。3.統一ドイツの財政調整制度の形成は、1990-94年の過渡期を経て、1995年度から実現されている。過渡期の制度においては東西ベルリンが合同してつくられた新都市州・ベルリンにおいては、東西の州の間に直接の資金的な関係が形成されていたが、統一ドイツの新制度においてなくなり、旧西独の制度に旧東独・新規の5州が旧吸収されることで、新制度は実現されている。4.新しい統一ドイツの形成期は、財政危機の新たな展開の段階を画するものとなっている。1966-67年の不況期以降の財政状況の展開を分析し、1960年代後半期と70年代半ば以降の相違を明確にし得た。70年代半ば以降は財政再建期として捉えることが適当であり、その第1期=70年代後半期、第2期=81年以降、第3期=90年代という特徴を持っている。5.現在の実態をつぶさに見聞するために、1995年8-9月に半月間にわたってベルリンを中心に資料収集および研究者・政策当局にヒヤリングを実施した。東西ドイツ統一についての評価が、旧西ドイツ側の行政当局者・研究者のものと旧東ドイツ側の行政当局者・研究者のものとの不一致とその原因について知ることができた。6.新ベルリン州とブランデンブルグ州との合併が提起され、専門家答申が出され、1996年に住民投票による賛否の決定がなされることになっているが、ベルリン市民は肯定的で、ブランデンブルグ州の住民は否定的であるが、総じて住民の反応は鈍いとのことであった。
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