本研究の出発点は、デカルトの哲学書簡素の全訳であった。三年間それに取り組んでみて分かったことは、700通あまりの書簡の翻訳は時間や労力の点で短期間ではとても無理であること、また訳出するなら往復書簡の形で訳をするのでなければその意味は半滅すること、そして複数の文通相手を分散的に取り上げるよりも、一人に的をしぼった方が実りのある研究になることである。そこで仕上がったのがデカルト=エリザベト往復書簡の全訳と注解である。この研究によって得られた新たな知見は多くあり、その意味は次の点で大きいと考える。 1 本邦初訳のものが多いこと。取り上げた書簡のうち、すでに日本語に翻訳されているものは、デカルト書簡では90%に達しているが、エリザベト書簡ではわずかに7%にすぎない。英訳でも、そのパーセンテージは低い。そのすべてを訳出した本研究は、これまでの欠を補うものとして世界に誇ることができる。 2 エリザベトの批判がきわめて厳しいことが判明したこと。従来の解釈ではエリザベトはデカルトの忠実な女弟子のように見られているが、その書簡を丹念に読むと、彼女は決して忠実ではなく、事あるごとにデカルト説に異を立てていることが分かる。情念、心身問題、世界観などの問題においてそうである。デカルトの合理主義的理論の弱点を、エリザベトは実践の立場から説く指摘していることになる。 3 そこからデカルトは多くの哲学的問題を展開したことが了解されること。デカルトはエリザベトの批判を謙虚に受けとめたがゆえに、それに対処して多くの議論を発展させることができた。たとえば『情念論』などは机上の空論ではなく、エリザベトやその一家の置かれた状況に対応して書かれたものとして読むことができる。 4 17世紀という時代を映す鏡になっていること。書簡という形であるがゆえに、その背景になっている時代状況が具体的に明らかになっている。三十年戦争、生殺与奪の権力闘争、大貴族の憂鬱なる日常、温泉に集まる貧民、病気への迷信など。かれらの書簡は、時代を生き生きと映し出す第一級の史料と見ることができる。
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