中国近世江南の都市・農村で流布した宝巻は、前期と後期とで、その性格・内容が相違する。前期では、宗教の宝典として共同体構成員の意識裡に留められ、その刊行部数は少なかった。それに反して、後期に入ると、白話小説や戯曲を多少宗教的な色付けをした一種の読み物として再登場し、地方の人々に対しては知識普及の役割を有した。その結果、前期宝巻は清朝政府の弾圧に遭ったが、後期のものは都市部で公然と印刷されて売られるまでになった。その情況変化のもとで、観音十二円覚宝巻や十王宝巻、羅祖五部六冊などの教派系宝巻が再度、重印されたが、宗教的な受容ではなく、一種の語り物としての要素が強く意識された。この考察結果は、従来の宝巻研究史には欠ける点と思われる。新たに蒐集した清代及び民国初期の宝巻原本は十数種に及び、宝巻所蔵目録に補足されるものであり、その一方、中華書局影印本宝巻全集は、未見の宝巻及び白話文学作品との関係で重要な手懸りを与えている。
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