数年前に完備された『弘一法師全集』(福建人民出版社)がごく少ない部数で出版されていた。しかしこの科研費では中国での資料や本の収集ができないため、その全集を国内にいるだけでは入手できなかった。またその研究者がいないため、大学図書館等でも設置したところが見つからなかった。最終年度の最後の時期にさしかかって偶然、購入者をみつけ、ようやく借りて目にすることができたため、一挙に多くのことが分かった。そのため文章化の時間が極端に制限されてしまったことは遺憾きわまりない。いずれより整えて発表したい。 李叔同の思想についてはほとんど先行研究はなく、ことに馬一浮思想と豊子〓の芸術観との関連では全くないといってよいので、上記の事情による制約はあってもとりあえずこの方面での研究を出発させたという意義はある。文献についても少なくとも李叔同と馬一浮に関しては報告書末尾に収録したもの以上には現在のところ望めないはずだ。 上海の革命派との関係以降、日本留学からの帰国後の南社との関係にいたるまで、一方で芸術救国に燃え、また一方では詩酒声色の間に浸りつつ、多才な芸術面での中国近代の先駆者となった李叔同は杭州で夏丐尊をよき同僚として厳粛な教師となり、さらに突然出家した。日本時代からの芸術家肌からもまた当時の革命熱にも由来するであろう神経衰弱を癒すための断食体験が直接の原因となったが、近代仏教については『老子』や儒教と仏教の「和会」を論じた馬一浮の導きがあった。出家はしたが国難を意識し、それ以前の中華民族主義・進化論的近代化論への芸術家的な感性に由来する、より時代を超えようとの「反思」の表象であったと考えられる。李叔同の出家から豊子〓は「児童」に脱塵を発見し、生活画に児童を配して俗世の不条理を描きだす独特な「漫画」を創出したが、抗日期からは「大衆」志向からナショナリズムに傾いた。
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