日本思想史研究が近代日本において、学問として成立するのは、明治期に他の人文科学と同様、西洋学問の受容という契機を経てであった。日本思想史の場合、それはまずは国学の伝統を西洋学、とくにドイツ文献学によって近代学問とたらしめようとする方向で始まったのである。その流れにあるのは、近代国文学の祖とされる芳賀矢一、さらには日本思想史学を提唱した村岡典嗣である。この流れの中に、和辻哲郎の解釈学による日本倫理思想史が位置づけられる。 こうしたドイツ文献学、さらに解釈学の受容によって国学を近代化しようとする方向は、芳賀において顕著に見られるように日本人論という形を一方で取った。同時代の国民道徳論を連関しながら一つの流れになっている。その点で国学の思想的要素を引き継ぐものである。本研究では芳賀、村岡とつづく流れが国民道徳論と近接し、問題意識を共有しながらも、また異なる展望に立つものであることをある程度明らかにできた。 また村岡典嗣の日本思想史学については、同様に国学の伝統を重視しながら、彼の宗教性・超越的契機への関心は、国学的な反宗教(儒教・仏教・キリシタン)の立場をとる芳賀に比してその思想史研究に特色を与えており、後に続く和辻の日本思想史像との関連でなお考察の要のある問題点であろう。 今後は本研究の知見をふまえ、さらに文献学から解釈学の受容とともに深化する日本思想史研究の問題性を、和辻哲郎に焦点をあてて、正面から考察していきたい。
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