本年度は、まず「行為の自由」に関する平成六年度の課題のやり残しの部分に取り組み、徐々に研究の重点を「信教の自由」に移していった。前者に関しては、項目B(自由意志と決定論に関する17世紀の論争の思想史的解明)と取り組んだ。自由意志問題に関するロックとホッブズの見解の相互比較という従来ほとんど考慮されなかった視点を活かし、ロック『人間知性論』の行為自由論を検討し、彼がいかに伝統的な自由意志問題と取り組んだかを考察した。この成果は「ジョン・ロックと自由意志問題」と題する論文としてまとめたのでいずれ公刊する予定であるが、ホッブズとロックに関する新たな歴史的証拠をエモリ-大学のウェインライト教授から提供していただいたので、現在それを分析している。なお、「行為の自由」と「知性の独立」というロックのテーマと関連づけるため、私はロックの論考「知性の正しい導き方について」を翻訳し、『中部大学女子短期大学紀要言語文化研究』6号(1995年)以降でそれを連載している。行為の自由の具体的な形態としての名人の「身体所有権」についても論文をまとめ、現在投稿中である。 「信教の自由」に関しては、研究計画中のA.ロックとシャフツベリ-やリンボルクとの関係の解明、B.寛容の根拠の究明、C.「信教の自由」と「行為の自由」の関連のうち、主にBと取り組んだ。寛容の論拠をロックの著作や草稿から抽出し、同時に、意志や知性の働き、信念形成、真理探究の方法についての彼の見解との関連を考察した。ここでも従来の研究の盲点に触れ、その基本的な作業は終えた。Aについては、リンボルクについて少し解明を進めた程度であり、まだ多くをなさねばならない。Cの作業はほとんど進展していないが、「信教の自由」が法による強制に対立し、「行為の自由」が必然性と対立するという違いを踏まえた上で、立法者が加える強制と行為者の経験する必然性との関連を問うこと、また、「信じること」をどこまで「行為」として捉えることができるかを問うことが不可欠だという見通しを得た。
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