1 本画リストの作成と調査 (1)美術関係図書や雑誌、各博物館の所蔵品目録、売り立て目録などにより、土佐派作品のリスト及びカードを作成した。その結果近世土佐家歴代当主の画跡が収集でき、その各絵師のおおまかな作風が明かになった。 (2)大徳寺 光院所蔵「沢庵宗彭像」及び南宗寺蔵「喜多見勝忠像」は、その作風が土佐光則に近似するため、本画の調査を行った。作風と関連史料の分析からこれらは土佐光則の本画であることが確認できた。 (3)「土佐家粉本」に近似する肖像が茶人宅に伝来するという情報を得、踏査を行った。その結果、箱書きなどから土佐光芳筆であることが確認できる肖像作品を数点見出した。光芳は多くの茶人や利休像を描いていることが明らかになった。 2 「土佐家粉本」の分析 (1)肖像画類は作者および像主を明らかにする作業をおこなった。その結果、土佐家歴代当主は医者、歌人、禁裏に出入りする文化人などと江戸時代を通じて交流をもっていたことが明らかになった。 (2)禁裏調度および御所造営資料については内容および何時の造営であるかを検討した結果、寛政度内裏、安政度内裏の他、女院御所資料の存在も明かになった。 3 文献研究 (1)宮内庁書寮部に収蔵される寛政度御所造営関連資料を複写し解読を行った。「造営日記」の中から相当数の土佐光貞に関する記述を抽出し、ワープロで記録し分析した。その結果、光貞が内裏造営の初期に公家たちに自家の資料を提供し、復古式建築の造営を可能にしたことが明かになった。 (2)宮内庁書寮部蔵「柱宮家文書」に含まれる土佐光芳の史料を複写し解読した。その結果、光芳は絵師としてだけでなく、柱宮家に近従として出入りしていたことが明かになった。
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