1 本画リストの作成と調査 (1)昨年の引き続き、美術関係図書や雑誌、各博物館の所蔵品目録、売立目録などにより、土佐派作品のリスト及びカードを作成した。その結果、大幅にデータが付加され、前年見なかった土佐光時の作品などが新たに見いだされた。また光武についても、幕末・明治の画家との寄合書きが多く見いだされ、光武が当時の京都において中心的な役割を果していたことが明かになった。これは、明治16年に京都府画学校が開設されたとき、光武が中心メンバーの1人として活躍する背景を示しており、近代美術史にもつながる重要な新知見と考えられる。 (2)落款の分析の結果、光起や光貞は贋物が多く作られたことが明らかになった。この事実は当時の社会における絵師の評価を考察する上で、新たな資料になると考えられた。 2 「土佐家粉本」及び文献の分析 (1)昨年に引き続き、肖像画類の作者および像主を明らかにする作業をおこなった。その結果、土佐家歴代当主は医者、歌人、禁裏に出入りする文化人などと江戸時代を通じて交流をもっていたことが明らかになった。 (2)前年複写した宮内庁書寮部に所蔵される寛政度御所造営関連資料を解読した。その結果、光貞が内裏造営の初期に、資料を提供し、復古式建築の造営を可能にしたことが明らかになった。 (3)「造営日記」の記事と、「土佐家粉本」、現存する内裏障壁画などを合わせて分析したところ、内裏障壁画の制作過程が細部についても明らかになった。とくに公家側からの注文で何回も描き直している様が分かり、また一部の図様が「石山寺縁起」等の古絵巻に基づいていることも判明した。
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