集団主義文化では、社会的な単位が個人ではなく、集団であった。そのため、個人の存続よりも集団の存続が優先される傾向があった。こうした歴史的な経緯により、人は個人よりも集団の力で困難を解決しようとする傾向を身につけていると考えた。そして、このような傾向は、集団主義的文化でもとくに集団主義的な傾向の強い者の間で顕著であろうと予想した。より具体的には、人が危機的な状況にあるとき、一人でいるときよりも、集団の中にいた方がより安全であるとみなすという仮説を立てた。そして、人が危機的状況にあることを記述したシナリオに対する被験者の反応の再分析を行った。その結果、他者の存在は客観的には安全性には影響しないにもかかわらず、自分と一緒にいる他者の数が多いほど、自分は安全だとみなす傾向が確認された。また、被験者を実際に危機的状況におき、そのときのリスク知覚を検討した。この実験で、被験者は個人条件と集団条件に分けられ、苦そうな液体を飲む条件か、それをのまないですむ条件のどちらかに振り分けられると告げられた。そして、どちらの条件に割り振られるかは、個人がくじを引いた結果によるか、集団の全員がくじを引いた結果によると告げられた。その結果、客観的にはリスクのレベルは同一であるにもかかわらず、グループ全員のくじを引いた結果によって自分の運命が決定されると信じ込まされた集団条件の被験者の方が、個人条件の被験者よりも自分は苦そうな液体を飲まずにすむと予想する傾向がみられた。ただし、このような傾向は、個人の集団主義/個人主義的傾向とは関連がみられなかった。
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