研究概要 |
本年度は、宮城県石巻市を主たる研究対象地とし、あわせて平成6年度の研究対象地・宮城県気仙沼市の補充調査を実施した。石巻市の調査においては、市役所関係各課,および市立図書館での資・史料の収集に務め、また聴き取り調査を実施した。更に、石巻市周辺の女川町、牡鹿町においても資史料の収集を、漁業関係者を対象に聴き取り調査を実施した。 石巻市は藩政期に北上川の流路を直流下させ、河口を北上町の追波湾から現在地に変え、開設することによって、その河口周辺に発達した町であり、伊達藩の貿易港・商港として発達してきた。したがって漁業の中心は、石巻市よりも、仙台藩に東南方向に突き出した牡鹿半島と、さらに半島の北部の内湾をとりまく二つの町、牡鹿町、女川町の各漁村であった。石巻市自体の漁業について言えば、少なくとも明治末期から大正初期にかけての動力漁船の導入期までは、ごく少数の漁家による近海漁業が中心であり、大規模経営漁家は見られなかった。石巻市は周辺漁村の漁家の漁獲物の集積地であり、加工地であり、そして消費地であった。漁船の動力化後、そして漁船の大型化、遠洋漁業への進出といった。この地方の近代漁業の展開にともなって、石巻市は大きく姿を変えるが、その過程では、近海への魚群の回遊が減少にともなう周辺漁村の業の衰退、そして、石巻市への一極集中が見られた。具体的には、漁獲物の集積地としての発展だけでなく、仲介業者(問屋)の成立・発展・加工業の拡大、大型経営漁家の成立、漁業(遠洋漁業)産地化、さらに造船業の成立と拡大等々である。
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