平成6年度は、北九州市八幡東区(旧八幡市)における都市発展と八幡製鉄所の関連からインナーシティの性格を考察した。それと、政令指定都市中で一番高い高齢化率を数えるといわれる八幡東区(平成5年19.2%)の高齢者の現状を聞き取り調査した。 (1)八幡市の都市発展は、明治30年に創業した官立の八幡製鉄所の発展と共に推移してきたといえる。製鉄所が大量の労働力を必要とした大正期に都市(大正6年:八幡市市制制定)になり、戦後の高度成長期まで日本を代表する八幡製鉄所の本社の所在地として発展した。最盛期には八幡市単独で35万の人口を要する都市であった。戦後、製鉄業の合理化を幾度か繰り返されるなかで、工場移転(北九州から君津や企業合併が進められる。工場移転は、そのまま八幡の労働者の人口移動を伴い、八幡市の人口の減少を意味していた。旧八幡市は、5市合併による北九州市誕生、40年の富士製鉄との合併による新日本製鐵の誕生は、製鉄の町八幡から行政機能も、経済機能も共に小倉や東京へと求心力が移ること意味した。 (2)八幡市の住民の生活基盤の一つである住宅は、都市発展と共に工場の隣接地から次第に八幡市以西の地域へと拡がっていった。そして、初期にできた市街地は、次第に老朽化し、特に、戦前の住宅や戦後の20年代の老朽の住宅地は、今日では老人だけが居住する家屋が多くなっている。調査地(春の町、尾倉町、帆柱町、西本町)でも平成5年の高齢化率が25%を超える町内もみられ、都市高齢化の一パターンを示している。 (3)八幡の場合、高齢者のうち「まるS」組といってよい八幡製鉄所の正社員の退職者、下下請け会社の退職者、さらにその下の会社の退職者、そして公務員や他の業種の会社の退職で、老後の過ごし方が違っている。
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