1.水俣における明治以降昭和20年までの議会資料を精査した結果、以下のことが判明した。 (1)チッソ(株)が操業を開始し事業が拡大するに対応して、地域社会の社会経済構造並びに空間構造が大きく変化するに至った。 (2)特に、詳細な課税関係資料によって、住民の生業の変動並びに地域の就業構造の多様化が顕著に裏ずけられた。 (3)チッソ関係者の、地元行政への関与が現れてくる。 2.行政・議会の内部資料によって、水俣病事件発生以降の自治体行政をみると、以下のような傾向が現れている。 (1)水俣病の発生が確認された当初は、原因の解明と被害者の救済において、主体的かつ精力的な取り組みがみられた。 (2)しかし、チッソ(株)が原因者として疑われるようになるにつれ、主体的な取り組みが弱まり、解決を外部に委ねようとする傾向が強まっている。 3.患者・被害者及び行政関係者・一般住民へのインタビューから、近年、水俣病事件に関する意識に以下のような変化が現れてきていることが判明した。 (1)相互のコミュニケーションの機会が増加するにつれ、相互理解が進展し始めてきている。 (2)水俣病事件を根底に捉え、地域社会の将来像を模索していこうとする機運が醸成されてきている。
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