本研究で明らかにされたことは以下の通りである。 1.日本の地域構造は、ME技術革新に規定された企業の経済活動と全国総合開発計画に代表される産業と地域開発にかかわる国家政策に大きくは規定されながら、個別地方自治体の振興・開発政策と企業・事業所の進出・撤退という現象によって結果されてきている。 2.1980年代から90年代のこれらの動きは、地方自治体の振興・開発政策にかかわりなく、政治・経済・文化等の管理中枢機能の東京一極集中とアジアへの生産移転、企業内国際分業体制(グローバルCIM)の確立、つまりアジアをも含めた日本産業の地域構造の再編がみられた。 3.それに伴って国内地方の産業・雇用の空洞化の進展であった。とくに70年代から80年代にハイテク産業の量産基地として工場進出のあった長野県伊那地域は、アジアを中心とする海外移転により、生産縮小・工場閉鎖による雇用の減少、小零細工場の閉鎖等が進行していた。 4.また、これまで「内発型」産業都市として発展をしてきた浜松市では、その中核であったオートバイと楽器の二大産業においても、産業の成熟化と他方における電子化による競争の激化、国際化・脱浜松の進展によって、中小零細企業に危機が生じ、自治体も中小零細も新たな対応が迫られていること。
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