本年度は、進歩主義教育期において重視された実践的知性をめぐってどのような批判が展開されてきたかを、1970年以降の急進的リヴィジョニストたちの見解を中心に取り上げて考察をおこなった。 1.急進的な教育学者は、進歩主義教育期の専門職社会が科学的知性を強調し、自然科学の方法や知識を社会問題に応用することによって社会を改善することができるという社会工学的な発想に立つものであったと批判する。彼らは、進歩主義教育学者が中立的・公共的な判断基準を共有する言説共同体を前提にしていたというが、そのような共同体は存在しないこと、また人間科学における探究の方法は客観的でありえないことを指摘する。これにたいして、実践的知性の方法が価値中立的な判断を求めていたわけではないこと、また人間科学や社会科学にはすべてではないにしても自然科学と同じ論理的方法を見いだすことができることを指摘して、当時の実践的知性観を擁護するものもいる。 2.当時の進歩主義教育者は、階級社会の問題を十分認識していなかったと批判される。とりわけ、実践的知性の方法は構成員の利害が分裂していないような統合された共同体を前提にしており、「小集団的」な問題は解決できても「社会機造や制度」の問題解決には不適切であるという。しかし、実践的知性の立場は、労働者による一党独裁が労働者の利害が普遍的な利害であると装うことによって、自己の利益を主張する「道具的な知性観」であると批判する。階級的利害は交渉や対話の出発点であっても最終目標ではなく、より開かれた普遍的な利害を追求する「互恵的な知性観」こそ実践的知性がめざすものであるという。実践的知性は、協働性をつうじて包括的普遍的な立場を求めることによって、社会構造や制度の問題を解決しようとしたのである。
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