本年度は、進歩主義教育期における「学問の自由」をめぐる論争に焦点をあてて、「真理探究者の共同体」の普及が「自由な探究」の普及を意味するのか、それとも「権力の召使い」の普及にほかならないのかについて検討した。 1.20世紀前半のアメリカ社会では大学院設立の普及により大学教授職も増えたが、これは従来の発展史観では「学問の自由(探究の自由)」の普及であり、「真理探究者の共同体」の実現であると解釈されてきた。しかし、急進的リヴィジョニストらは、このような動きは「権力の召使い」を生んだだけであると批判する。それによれば、真理探究者とは権力者にへつらい自らの保身に汲々とする打算的な実利主義者であり、学問・科学の「ポリティックス」にまつわる問題を回避し、闘争的な手段を否定したという。 2.これにたいし、当時の教育学者であるデューイは、学問・探究の自由の進展には資本主義的独裁者の干渉や管理上の集権化による独裁などと対決する必要があり、アメリカ大学教授連盟(AAUP)は「真理探究者の共同体」の具体化であり、様々な干渉と対決する手段であると考えた。デューイが会長職にあった時期には大学教授の不当な解雇をめぐってAAUPに11件の調査依頼があり、自由な探究の擁護に取り組んだ。 3.最近では、デューイの立場が闘争的革命派ではなく穏健なリベラルにほかならないというキャリアーやタイルズ、燃えさかるような激しい批判でなく寓意的な方法・玉虫色の防護的手段をとったというウエストブルック、政治的には急進的で、労働者や女性の権利を擁護し、収穫的でも闘争的でもない世俗国家を擁護する「前衛的リベラリズム」の提唱者であるというラインアンなどの研究があることを検討した。これらは、進歩主義教育期の「探究の自由や探究共同体」の理念についてさらに検討する必要性を示唆している。
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