本研究はまず旧制高校とパブリック・スクールの誕生の経緯と発展の概観をなし、とくに明治時代の旧制高等学校とビクトリア朝時代のパブリック・スクールにさまざまな点で類似性があることを指摘し、つぎに両者の類似と差異について学籍簿などのデータを集計、分析し実証的に比較研究している。知見のひとつは、旧制高校がかならずしも貧困層に開かれていたわけではなく、逆にパブリック・スクールが上流階層の独占学校でもないことである。旧制高校に社会的再生産の、パブリック・スクールに社会移動のメカニズムが働いている。もうひとつの知見はつぎのようなものである。パブリック・スクールは政治家や行政官などのジェネラリスト・エリートとくに父権的指導者を育成するのに成功したが、科学者などのスペシャリスト・エリートを育成するのに失敗した。旧制高校は自然科学や知識志向が強かったぶんいずれのエリートの育成にも対応できた。パブリック・スクール・エリートは伝統文化(ジェントルマン文化)と接続することによって安定したエリートであったが、革新能力を欠いた。一方、旧制高校の「教養」は西洋文化の吸収にあったから、伝統文化から切断され、そのぶん旧制高校エリートは軍国主義時代のショービニズム=伝統の創造の対抗力となりえなかった。これからの日本のエリート教育を考えるには、現在もサバイブしているパブリック・スクールの戦後社会の変貌を参考にしながら、もし戦後日本社会に旧制高校が存在したら、日本社会はどのようになっていただろうか、という思考実験をすることがよいだろう。
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