本年度は、これまでの計画において郷校、教導所等に関する現地調査、史料収集が不十分であった旧出雲国の能儀郡、島根郡、神門郡の一部地域の補充調査を実施した。また、一部地域ではあるが大原郡、楯縫郡、秋鹿郡についても上記同様の調査をすすめた。さらに、新しく発掘し得た桃節山(松江藩儒)のいくつかの『日記』類関係文書および『学校要規』等の原典史料の解読作業にも従事した。 その結果、本研究テーマの先行的研究の一部を補填することができた。また、幕末維新期における旧松江藩(県)において、郷校、教導所の大半についても、その設置場所、規範、形態について明らかにすることができた。特に、南学教導所、西学教導所の設置場所、規範等の一部について明らかにできたことは大きな成果であった。 しかし、学制公布後、実際に設置された公学校のうち、主として能儀郡、島根郡、神門郡、楯縫郡、秋鹿郡の一部公学校が、郷校および南学教導所、西学校教導所等の、いわゆる前近代的諸学校との関連において、どのように連続・非連続していったのかについては、十分に実証することができなかった。 今後は、前記の未着手の部分の調査・研究をすすめ、前近代的諸学校の実体把握と、そして、それらが、近代公学校へと、どのように連続・非連続するのか、その全体像について体系的に明らかにしてゆきたいと思っている。
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