ブーバーやヤスパースの実存的コミュニケーション論は、「交わり」「我一汝」関係に示されているように、ル-マンの用語に翻訳すれば、自己準拠システムとしての心的システムに定位しながら、お互いを自己準拠システムとして認めるコミュニケーションのありようを、そうでない「我一それ」関係としてのコミュニケーションと区別するところに重点がある。しかし、心的システムの自己準拠性に気づいてはいるものの、コミュニケーション自身が自己準拠的な社会システムとなることには射程が届いていないところに限界がある。ハ-バーマスのコミュニケーション的行為の理論にしても、自己準拠的な行為者がコミュニケーション的行為を行う、という図式であって、発信者と受信者を区別しその間に媒体を立てるコミュニケーション論の枠組みを一歩も出ていない。この点、ル-マンのコミュニケーション論は、コミュニケーションを最終的な社会システムの構成要素と見る点で、従来のコミュニケーション論では見られなかった見方を可能にした。例えば、教室におけるコミュニケーションの分析でも、従来の分析は、教師対生徒のコミュニケーションという見方を出ず、前のコミュニケーションがその後のコミュニケーションとどう関わり展開してゆくかという視点が弱いのに対し、ル-マンの図式を用いれば、授業過程自身をコミュニケーションの自己展開過程として分析する事が可能となる。以上の結論が研究成果である。
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