『文部省年報』の明治6年から昭和20年までの就学に関する各種データを各府県別、男女別に入力した。『文部省年報』の就学率計算式は時代によって何度も改正されたので一つの式で一貫した変化を求め、さらに日本全府県の近代の就学率の変化をいくつかのパターンで括ることを試みた。その結果全国平均より高く推移する地方、低く推移する地方は男女で異なる。まず女子であるが、東北諸県、四国諸県は明治末まで低いが、関西、中部では概ね早くに高い数値に達する。しかし男子は東北諸県、関西諸県、四国地方で低い状態が続いている。東北は男子はほとんどが平均より高いが、女子は低く、九州諸県では明治期後半まで東北と同じパターンだが、女子が上昇して全国平均より高くなる。またいったん全国平均より高い数値を出していながら低落するのが都市を区域内に含む関東、関西近県の女子である。このような変化の理由についてはさらに検討を加えたい。 『文部省年報』が依拠している就学率の計算方法の変化は『法令全書』などにも省略して掲載されており使用に不便であったので、この研究において法令の変化を整理し、法令集を作成した。 またかつて島村がおこなった『壮丁教育調査』のデータから就学率を推定する計算では、就学率は上昇するだけでなく、一時減少していた。しかし、今回年次別データを用いて学齢児童を厳密に定義しておこなった計算では大きな減少はみられなかった。
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