本研究は沖縄市を中心に展開してきた「チャンプル-文化」が沖縄全体の文化として主にマス・メディアをとおして本土のみならず、沖縄県内の周縁地域などへと浸透してゆくプロセスを調べることを目的としていた。しかし、その研究を行なう前に、「チャンプル-文化」が沖縄の特殊な歴史的経験に根差していることが判明した。つまり、ただ異種文化要素を混交するのではなく、力関係において劣位にあるものが優位にあるいものの文化要素を、自己のアイデンティティを再編成するための道具のように利用しているプロセスに留意する必要があると判断した。ここではキューバの文化人類学者オ-ティスがいう「トランスカルチュラレーション」という概念、あるいはメキシコの社会学者ガルシア・カンクリーニが近年主張した「ハイブリッド文化」という概念が分析を助ける。具体的には、沖縄の若者文化が親世代と子供世代のギャップ、本土への同化意識と沖縄文化の独自性主張、沖縄県内での中央と周縁、という複雑な対立を折衝しながら生まれてきたことを指摘した。これまで沖縄文化は、(1)琉球王朝時代の歴史を回収することから沖縄のアイデンティティを主張する(首里城復原の意義をめぐる言説、『琉球の風』に見られる)、(2)アメリカの占領経験をポジティヴに解釈する、(3)観光イメージを流用し「自然」派として沖縄人、などがあるが、どれも成功したとはいいがたい。それに比較し、沖縄市発信の若者文化は、いまでは沖縄そのもののイメージである。力関係の折衝の結果新たな文化が創造される過程は、ヨーロッパの特権的審美観とされていた「モダニズム」が、非ヨーロッパ地域で生まれるときの必然であるといわれる。これからは、本研究の結果得られた知見を、「沖縄モダニズム」という審美観への展開させてゆきたい。
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