粕屋部東部地域の農家に対する聞き書き(インタビュー)によって、この地域の農業が裏作としての菜種や小麦を伴う複合的なものであることが確認された。この複合経営はさらに夏ミカンビワイチゴ等も含む極めて換金性の高いものであり、主に壱岐ノ島からの独身男女(オトコシ:男衆、オンノシ:女衆)や田植えの際のチクゼンサン(筑前さん)といった雇人を各戸常用する形をとってきた。 本研究での中心的な研究対象である“犁耕"は、このような構造なり経営上の特質の一要素であり、近代農政に於る“筑前農法"と“乾田馬耕"をして“近代改良短床犁"といったものの基盤が動能的に把握出来るようになった。 次に文献試料の収集調査であるが、数度にわたって公文書館、通産省及び特許庁等に出向き当時の行政試料や特許関係の文書を収集し分析を加えつつある。全般に農政の現場での評価とは裏はらに九州の犁製造業者の特許制度への関心は低く農政当局と連けいして業者間で共存しようとする企業方針が伺われ、長野や三重の後発メーカーに市場を取られる傾向もあった様である。また企業内部や小売商との関係においての“近代化"が遅れているのは九州に限らない状況であり、肥料商やその流通界が化学工業の近代性によって改編されていった経路と比べた場合、興味深い結果が出る可能性がある。
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