本年度は、昨年度に引き続き中世国家(王朝と幕府)の寺社政策を検討し、名古屋大学文学部の講義において現時点での到達点を院生・学生に提示した。本年度は、昨年度が権門寺院の長官に対する人事権を問題にしたのを継承し、こうした権門寺院の内部の院家・門跡の領有・継承に対する国家の関与を問題とした。最も私的部分に国家がどのような関与をしたのか、この問題を延暦寺青蓮院、醍醐寺三宝院・報恩院、東大寺東南院を対象として検討した。まず青蓮院の場合、先行研究は師資相承原理に基づいて門跡継承がなされたことを強調し、鎌倉末期の王朝の分裂の影響を否定するが、子細に検討すると、門跡の継承原理に占める師資相承原理は絶対的なものではなく、むしろ門主の出身の家の論理が優越することが判明した。また、門跡継承をめぐる紛争、あるいは門跡継承者の適格性が問題となった場合は、国家が門主を罷免したり新門主を補任することが見られたこと、門主の代替わりには院宣や綸旨が出されたことが明らかになった。門主の補任権は基本的には王朝側にあるが、幕府の指示が必要とされた。南北朝時代になると、「安堵綸旨」が恒常化し、義満段階からは幕府の「補任」が行われたようである。醍醐寺三宝院や報恩院の場合は、初期において家の継承原理の優越が見られるが、鎌倉時代に入ると師資相承原理が優越するようになる。ただ、師資相承原理において混乱が見られ、法流の分裂が起こり、そこに国家が干渉する。王朝による安堵、補任という事態が発生し、幕府も干渉せざるを得ない状況が生じている。後宇多法皇は密教の法流の統一を、自らが小野・広沢両流を継承することによって実現しようとしたと考えられる。今回の科研費における研究では南北朝時代の研究が十分ではなかった。今後、さらに室町時代までも見通した研究を進めたいと考えている。
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